やさしいことを本人がしたとして、
それをされた側が、「あ、いま、やさしくされた」と感じなければ、
そこに「やさしさ」は発生しない。
これが、当たり前のことのようで、すごく大変なことなんじゃないかと最近よく思う。


例えば親、限りなく自分に近い肉親から受けるそれは、
普段ではなかなかありがたいと実感できない。
若い私たちは、それをやさしさだと気付けていないことの方が多いように思う。


私はもしかしたら、
自分が未熟だったり卑屈だったりしたせいで
今までの人生でかけられてきたはずのやさしさを、随分とこぼしてきたのかもしれない。
気付けなかった彼や彼女のやさしさが、誰にも発見されずにぽつねんと、
過去の彼方に在る様子は、なんとも物悲しい。
もしそうなのだとしたら、それはあまりにもったいないことだ。


「安心してよ」と言いたい。
きみたちが施してくれたやさしさは、私は全て察して救いとる。
ちゃんとわかっているからね、
きっと悲しませたりがっかりさせたりはしないよ。
そう言いたい。