敬語を正しく使わせる、はっきりした声で受け答えさせる、連絡ごとは簡潔かつ迅速に行わせる。
仕事の愚痴と他人の悪口はいっさい言わせない。
この歳になると礼儀作法のなってない人間とは同席したくもない。
いくら造型が整っていたとしても。


何をすべきなのか、優先順位を迷わない。
自分に何ができるのかなんてことより、人と対したときの振る舞いをきちんとすることの方が大事。
それを教えてくれたのが彼。

ふうん。
まったく正しい。


彼は彼女を選んだのであり、彼女も選ばれることを望んだのだろう。尊敬する大人によって道が示されたとき、そこには素直さという名の一種の盲目さが必要で、もし戸惑いや反発によって少しでも心にかげりが見えたなら、大人は容赦なく突き放す。まあお前の好きにすればいいさ、と。
好きなひとが、宗教になってはいけなくて。精神的な奴隷になってしまう、きわきわのところでいつも背筋を伸ばしてる。性的な行為に置換して、そこではただの男と女だから、ああ男の人ってやっぱり弱いのだわ、なんて息もつけるかもしれない。ねえだとしたら恋愛関係に落とし込まざるを得ないのかもしれないね、だって抜きをつくらないと、やっていけないじゃない。もっと単純に、文字通り教師と生徒のような関係でいられたら、何も知らない顔をしていられるのにね。


あたりまえか、あたりまえでないのか。ひとりになったときに、すべての責任を負えるのか。


聴くことはやめない、でも人の言葉を聴いても、本当には自分の血肉にはならないってつくづく思う。その人がその言葉を得るに至った同じ道筋を、私は自分の足でなぞらなきゃそれは嘘になってしまうって思うよ。


こんなことを書きたかったわけじゃないんだけど。
どうしてこれをメモしたのかなあって不思議だったけど、こうして書いてるうちにいつかの自分と、あなたのことに繋がってああなるほどっていま納得してるところ。


私は、ときどきよそ見をしながら、ずっと同じ人を見ているよ。本当にうんざりして疲弊しきってしまう日もある、自分にも相手にも。でも手放したくないって、おかしいよねえ私のものじゃないのにね。(これじゃなきゃいけない声とか、吐く息とか、そういうものはまったく罪のかたまりね!)あのね、少し話が変わるけれど、自分がすごく恥をかいた帰り道とかさ、ふと口をついて出てるくだらない幼稚な言葉ってあるじゃない、はっと我に返ってひとり気まずくなるような。あそこが、自分の底だって思うんだ。いいわけばっかりだよ。ふてくされてるのってかわいくないよね。あなた綺麗になったよ。


先なんてどうなってもいいかなって思う。今日もありがたかったから。今はもう、見たくないところに目をつぶってるわけじゃないから。


私も本能で動けるように、あなたのような体を持ちたい。