荒野、吹きすさぶ風

ある個人のテキストサイトがある。私は中学生の頃からそのサイトを閲覧している。生き方に対して、とても辛辣な姿勢を取る人だという印象を持っている。自分にとって、極めて読み応えのあるテキストを書く人だった。6年。その間私も幾分かは成長したと自負する、それでも今も、変わらず、彼の書くものは示唆を与え続けてくれる。その人の人生を、僅かながらであるにせよ、ずっと見てきた。少し前からそのサイトが終わろうとしている予感を感じていた。私は焦っている。コンタクトを取るわけにはいかない。それは私の驕りに過ぎないし、なにより彼は人との接触を最小にすることだけを目的に、この数年を生きてきたような人だから、そんなことをされようものなら最も疎ましく感じるだろうとは想像に容易いのだ。


私は、彼が死ぬんじゃないかという気がして仕方ない。


いや、この言い方は適切ではない。彼は自ら命を絶つなどという行為には馬鹿らしさを感じているだろうし、死ぬ気力もないほどに既に自分に無関心になっている。だから今もただ生きることをこなしているのだろう。しかし、いつか彼の人生がパチンと消えてしまうとき、その瞬間は誰にでも訪れるものだけれども、彼の場合そのスイッチは、事故や病気と言った不可抗力によるものではなく、自殺だろう、という気がして仕方がないのだ。彼は、死んでもいいと思っているけれど、死なないだけなのだ。そのことに思いを馳せるのすら面倒で億劫だから。ただ、生きて、日々を、消化しているだけ。


いっそ全てが虚言ならばいいのにと思う。

私が見せられてきたものは、全て彼のでっちあげだったらいいのにと思う。


私は、人との関わりをことごとく断ち切ってきた彼に、送りたいと思っている本がある。私が未だ消化しきれない本。本ならば、彼に寄り添ってくれるのではないかと、淡い期待を抱いてしまうのだ。だけど私は多分、彼にメールを出すことは出来ない。


やめないでほしい。お願いだからやめないで。
この世界はどうしてこんな。