集合の円と円が重なり合う部分を見ている。


淡々と毎日を消化していくことは、本当はすごいことだと周りの者に見せられる人。物事に対して温度が高くも低くもないところと、腹の底に自信を隠していられる落ち着きが、とてもいいなあと思う。あんなふうに将来のことを口にする人、同年代の男の子でそういない。平凡な幸福、当たり前のことを当たり前にする大人。それを望む気持ちの大切さ。すごく格好良いし、羨ましい。



どうして飲みに出掛けてばかりいるのか不可解だった。不毛な毎日を繰り返し、ふと部屋で我に返ったときの虚しさを、助長させるだけなんじゃないかと思っていた。大通りの交差点で信号が青に変わるのをぼんやりと見るともなく見つめる。そのとき不意にわかった気がした。たった今一緒にお酒が飲みたいと思ったのだ。そして強烈に切望する。ああ、またくだらない冗談を言い合いたい。彼のユーモアは私の日々をわずかばかりではあるが、確かに救ってくれていた。繋がっていることは当たり前のことじゃなかった。顔が何度やっても笑顔にならない。



一番いい距離感なのかもしれない。だからそれは友情とはまた少し違うんだろう。友達には、近すぎて見せられないものがある。知っていてほしい、見ていてほしい…それをエゴや馴れ合いと言い捨ててしまいたくない感情は、実際に感じた律儀さと人柄のまるみを思い出すことで、ちょっとうれしいあったかい気持ちに変わる。言葉でも、意匠でも、音楽でも、饒舌にならない方が伝わるものがきっとあるんじゃないだろうか。撮るものは、撮るひとそのもの。