自分には、他人の目を一切取っ払ってもしたいこと、というものがないのかもしれない。
自分が本当にそれをしたくてしているのか、している自分が好きで誰かに見せたいからしているのか。
あの時手を動かしていた自分に、今もなお執着しているのは、
その時だけは純粋にそれがしたくてしていた自分だったと、今振り返っても疑えないから。
一瞬だって、自意識なんてものは消えていた。
その記憶だけが自分に残された最後の領域のような気がしているから。
だけどそれも都合良く記憶を捏造した結果に過ぎないのかもしれない。


次の晴れの日には、スケッチブックを持って動物園に行こうか。


夢中で音を鳴らすプレイヤー、笑顔と礼節で接客する働く人、
黒板を前に鉛筆を走らせる学生、射精し自失し切った男、
自分のことを考えていないときの人の顔は、とても美しい。